2020年3月6日(金)元AKB仲川遥香さんがTBS番組『爆報!THEフライデー』に出演されます。
そこでは児童養護施設で育った過去を初告白するということでネット上ではかなりの話題になっているようです。
そこで今回は『仲川遥香が生い立ちが壮絶すぎた!児童養護施設に入った理由は何?』
について記事を書いていきたいと思います。
仲川遥香『爆報!THEフライデー 』内容
番組内容まとめ
- おばあちゃんとの超貧困生活
- 児童養護施設で育った過去
- 家族詐称:自伝本『ガパパ』でうその家族構成を紹介
- 家族との接触を避けて疎遠になっていたこと
仲川遥香さんは『爆報!THEフライデー』でこれまで隠してきた児童養護施設で育ったなどの衝撃の生い立ちを話します。
経歴
仲川遥香さんといえば、2006年にAKB48のオーディションに合格。
2007年にAKB48のメンバーとして芸能界デビュー。
2012年にはJKT48(インドネシア・ジャカルタ)に移籍。
AKB48ではなかなか人気が出ませんでしたが、インドネシアのジャカルタに拠点を移したJKT48では大ブレイクをして超人気アイドルに。
ジャカルタでのCM本数は20本超えをしていました。
2016年にJKT48(AKB48グループ)を卒業。
2016年12月20日自伝本『ガパパ』発売。
※この本でうその家族構成を書いてしまう。
現在はインドネシアの超高級マンションに住む国民的スターとして君臨しています。
成功していくのと同時に心のなかに葛藤が生まれました。
これまで明かしてこなかった過去を打ち明けるかどうか。
今回の『爆報!THEフライデー』ではその衝撃的な過去のを生い立ちを打ち明けます。
仲川が今までひた隠してきた生い立ちを明かすことに至った思い、経済的に厳しい状況下での生活、そして児童養護施設での生活など、全てを明かすことで仲川が伝えたい思いを紹介する。
仲川遥香は両親離婚で生い立ちが壮絶すぎた!
3歳で両親離婚
仲川遥香さんのお父さんは無名なプロレスラー。
お母さんは専業主婦。
家族は幸せだったが裕福ではありませんでした。
仲川遥香さんが3歳のときに悲劇が起こります。
両親が離婚をしてしまい、母親が家を出て行ってしまいました。
そのため、親権は父親になりました。
父親に仲川遥香さんはじめ4人の兄弟姉妹(第4子のみ男の子)は引き取られました。
父親に引き取られたもののそれは形だけでした。
仕事の収入が不安定で面倒を見られないため、
「お前たちいいか?今日からおばあちゃんの子になるんだぞ」
と言って子供たちから去って行きました。
超貧困生活で主食がなめたけ
おばあちゃん(洋子さん55歳)は激安都営アパートに住んでいて、
収入も貯金もわずかで超貧困な生活を送っていました。
4人の子供たちにごはんもしっかりと食べさせてあげられませんでした。
その中身はわすかなごはんと主食がなめたけだけでした。
その結果、4兄弟姉妹はなめたけの取り合いでしょっちゅう喧嘩をしていました。
遠足のおやつが付属でつくような紅生姜
仲川遥香さんにとって遠足のおやつが屈辱的でした。
小学校のまわりの友達が300円程度のおやつを持ってくる中、
仲川遥香さんだけ牛丼や焼きそばについてくる小さな袋の紅生姜だったのです。
こうした貧困問題は令和・日本のディープ・プア問題と呼ぶそうです。
※ディーププアとは所得が一般家庭の中央値の4分の1以下。
例えば、一般家庭の中央値が約40万円だとしたら
ディーププアは4分の1の10万円以下のことをさします。
ろくに食事も取れない子供が30万人以上も日本にいるのです。
そんな両親がいないという壮絶な環境の中で仲川遥香さんは育ちました。
消費者金融に借金
祖母の洋子さん(おばあちゃん)は何とか子供たちにしてあげたいという気持ちが強く消費者金融にまで手を出してしまっていました。
おばあちゃん(祖母)が借金をして返済出来なかった結果、
家族は離散してしまいました。
仲川遥香が児童養護施設に入った理由は何?
そんな中、仲川遥香さんはじめ子供たちはある日を境に児童養護施設に入れられました。
その理由はずっと子供たちのお世話をしていたおばあちゃん(祖母)が心臓病で入院したからです。
仲川遥香さんが8歳になったある日、突然、見知らぬ大人が二人アパートにやってきました。
仲川遥香さんら子供たちを児童養護施設に引き取りにきたのです。
児童養護施設での生活
児童養護施設は不安だったものの、スタッフの方々がいい人ばかりで仲川遥香さんは安心して生活できたということをおっしゃっています。
ただ、生活ルールは大変でした。
ルール①昔を思い出させる会話は厳禁。
その理由は殆どの子が死別や虐待、捨てられたなどの境遇なため。
ルール②月5万円が支給される。
食事や洋服、お小遣いとして使うことができるのです。
負の連鎖からの脱出
14歳のときにAKB48オーディションに応募しようと悩む。
そのときに相談したのがお姉さん。
いつも勇気づけてくれた優しいお姉さんでした。
お姉さん彩香さんの後押しでオーディションを受けて見事に合格。
AKB48のメンバーの一員となり辛い生活から脱出しました。
2020年3月現在おばあちゃんは80歳で心臓病
『家族詐称』と『姉の死』
家族詐称
18歳になりで人気が出てくるにつれて、児童養護施設で育ったこと、
超貧困生活だったことなどを隠すために家族詐称をしました。
その結果、大切なお姉さんの彩香さんに対して避けてしまい疎遠になってしまいました。
姉の死
2019年5月に親戚から一本の電話。
「お姉さんが死んじゃった」
という訃報でした。
死因は子宮がんの合併症による心不全。
享年28歳でした。
すごく優しくていっぱい可愛がってもらった
姉の彩香さんの死に目にあうことが出来ませんでした。
仲川遥香さんはこのことを一生の後悔としています。
苦渋の選択
姉の彩香さんはシングルマザーで3人の小さな子供がいました。
おばあちゃんは心臓病で3人の子供を育てられない。
このままでは児童養護施設に3人の子供は入ることに。
そこで
①「日本に戻ってこの子達を育てるか?」
②「インドネシア・ジャカルタで歌手を続けるか?」
という選択に迫られました。
結果、インドネシア・ジャカルタで歌手を続けることを選択しました。
その理由はインドネシアから3人の子供たちを面倒みることでした。
仲川遥香さんがそうだったように決して児童養護施設が悪いわけではない。
自分の姿をみて子供たちに希望を持って欲しいという気持ちを込めて、
インドネシアで歌手活動を続けていくことを決めました。
まとめ
今回は
①仲川遥香が生い立ちが壮絶すぎた!
②児童養護施設に入った理由は何?
についてまとめてみました。
仲川遥香さんの明るい笑顔の裏にはそういったお辛い過去があったなんて知りませんでした。
今回思いを大切にして引き続きインドネシアの国民的スターとして活躍してほしいです。
最後まで読んで頂きどうもありがとうございました。